
親鸞のルーツと浄土真宗の展開
親鸞会は浄土真宗の開祖である親鸞聖人の教えを布教するために生まれた団体です。浄土真宗は日本で最大の信徒を持つ宗教ですが、そこをルーツにしていながらいろいろと違いがあります。そもそも親鸞会が生まれるきっかけには浄土真宗に対する抗議がありました。
親鸞が生きた時代は鎌倉時代の初期から中期にかけてです。親鸞自身は新しい宗教団体を作ろうと思って活動したわけではありません。むしろ彼は師である法然の思想を広めるために活動しており、そのなかでオリジナルの思想を持つに至ったと考えられています。
このことから親鸞自体が大きな宗教団体を持つことに否定的だったことが分かります。さて、ルーツである浄土真宗が成立してからはその教義の分かりやすさと深い思想により日本で最大の規模を誇る宗派となりました。しかし、そんな浄土真宗に冬の時代が訪れます。明治時代の到来による廃仏毀釈運動です。廃仏毀釈運動は仏教そのものの力を弱めてしまいました。
高森顕徹による親鸞リバイバル
廃仏毀釈運動からのちの浄土真宗は冠婚葬祭くらいでしか存在感を見せるものではなくなりました。今では家にお仏壇があっても、自分のことを無宗教と考えている人は多いでしょう。そんな状況に胸を痛めたのが高森顕徹氏です。大学で仏教を学んだのち、1952年に徹信会を設立しました。これが現在の親鸞会の始まりです。浄土真宗の本願寺には僧籍を連ねていましたが、1970年には離脱します。これには浄土真宗のルーツに関する異議申し立てがあったとされます。
浄土真宗には西本願寺派や東本願寺派など派閥がありますが、親鸞会はその教義に関して批判を行います。親鸞会の主張はとてもシンプルです。それは親鸞というそもそものルーツに立ち返ること。宗教は長い時代を経るとその教義が変わることがあります。大切な教えがないがしろにされたり、時代の変化に合わせて解釈を変更することがあるからです。
浄土真宗の本流である本願寺は親鸞会を異端としていますが、設立の理念からするとルターやカルバンの行った宗教改革に近いかもしれません。彼らも聖書という原点に戻ることを主張しました。
まとめ
高森顕徹氏の活動はその後も続いており、今では一定の評価を受けています。そもそも親鸞は肉食妻帯というタブーを行ったり、修行が全盛だった時代に念仏という大衆に開かれた方法を提示した異端者です。親鸞もまた釈迦という原点に回帰したと考えられるので、親鸞会の行っていることは主流派から異端とされていても評価が変わるかもしれません。
ひとつ言えるのは、高森顕徹氏が様々な論争を巻き起こしたことで間違いなく浄土真宗や親鸞に関する議論は盛り上がったということです。